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虎屋の象徴 『割烹舗乕屋の看板』(昭和10年代撮影)
長さ約2メートル、高さ約1.5メートル(土台部分含まず)の看板が、虎屋の象徴でした。看板の文字は、ハマグリの貝殻をすりつぶして、ふき付けたそうです。
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創業当時の“虎”瓦 (現在、ホテル正面にございます)
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創業時の広告文(現在、ロビーに展示中でございます)
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創業以降、使用されていた食器、弁当箱(現在、ロビーに展示中でございます)
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鎌倉時代から城下町として、江戸時代には奥州街道屈指の宿場町として栄えてきた須賀川。
その街に、“割烹旅館虎屋”は、1885・明治18年9月18日に現在地に創業しました。
当時の広告には“今般前業を改て衛生割烹店として各様の健康を保全し・・・”とあります。
ちなみに御料理代は20銭となっており、当時宿泊や宴会・会食の営業は、当地方では初めてでした。
この広告文は、現在のロビーに当時使用されていた食器と共に展示してあります。
そもそも“虎屋”の名前の由来は、ことわざに“虎は千里往って千里還る”とあります。
虎屋をご利用いただいたお客様が、須賀川を充分に楽しみ、良い想い出と共に
無事帰路に着き、是非もう一度訪れていただきたい、という願いが込められています。
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@ 北側より望む“虎屋旅館”(1973・昭和48年頃撮影)
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A 明治創業当時の建物(1973・昭和48年頃撮影)
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写真Aの建物で、宴会場兼客室8室として創業し、大正時代まで使用しておりました。
昭和に入り、お客様用としては使用されておりませんでしたが、
終戦直後の混乱期(1946・昭和21年〜1955・昭和30年頃)にかけて、
写真Bの建物で旅館としての営業を続けながらも、
創業当時(写真A)の建物では、“白ばら”という喫茶店を営んでおりました。
コーヒーやセイロン紅茶、おしるこを提供し、当時としては、ハイカラな喫茶店だったようです。
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B 明治末期に増築した虎屋旅館の正面(1973・昭和48年頃撮影)
客室10室、大広間を含む宴会場5室への増築でした。
明治創業時の建物(写真左側)は、そのまま残されました。
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C 正面玄関(1973・昭和48年頃撮影)
天上のグラスライトは、お客様を雨雪から守りました。
写真右手の石灯籠は、今でも現役で、ホテル中庭にございます。
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ホテル虎屋に改名し、営業を開始(1976・昭和51年2月25日オープン時)
和風を全面に出した全客室数14(全て和室)、宴会場5室の建物で、正面玄関の松の木や中庭等は、割烹旅館の名残として存在してました。
しかし、ビジネスホテルが台頭する時代が到来し、わずか10年で、現在のホテルへと生まれ変わることになります。
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ちょうど虎屋創業から101年目の節目の年でした。
オールデイダイニンク開(KAI)という店名には、
虎屋が初めてレストランを開店させるという想いが込められており、
ティーラウンジ101は、その名の通り101年目のオープンが由来です。
東日本大震災(2011・平成23年)では、被害により3ヶ月間、休館いたしましたが、
6月より宿泊部門から順次、営業を再開いたしました。
『何よりお客様を大切にし、お客様とともに繁栄する』という虎屋代々の理念は、
130年目の今でも、社員が守り続けるべき理念でもあります。
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現在のホテル虎屋 (1986・昭和61年11月15日オープン)
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